二ハングの生活(インド)

Nihang 二ハング

アナンドプール(Anandpur)は第10代教祖グル・ゴービンド・シングの時代にシーク教の軍事組織カールサー(Khalsa)が創設された場所だ。そのためアナンドプール市内においては他の地域より二ハング(Nihang)と呼ばれるシーク教の戦士の姿が多い。しかし二ハングといってもピンキリで普段は一般的な姿で過ごし、祭事やグルドワラ(Gurudwar シーク教寺院のこと)に参拝するときのみ二ハング姿になるようなナンチャッテ系二ハング(こういう場合はそもそも二ハングとは言わないのかもしれないが)から昔ながらの伝統的な生活を守り続けているコテコテの筋金入りの二ハングまで様々だ。今回は伝統的生活送っている二ハングのコミュニティーのところにしばらくお邪魔して生活を見させていただいた。

まず一番想像していなかったのは、かなりの部分を自給しているようなのだ。アムリトサルなどのグルドワラでは近隣の農家から食材が寄付という形で届けられる。それをボランティアのシーク教徒達が調理して成り立っている。今までにグルドワラでそのような光景を見てきたので彼らも野菜やミルクなどは寄付でまかない、それを近隣のシーク教徒達が調理しているのだろうと思い込んでいた。しかしアナンドプールで古典的二ハングが共同生活をする最大集団であるGurudwara Saheedi Baagにおいては広大な敷地を持ち、なんといっても目に付くのは多くの牛を飼っていることだった。朝夕にミルクを二ハング自ら絞り昼間はグルドワラの外で農作業などに従事しているというとても牧歌的な農耕生活を営んでいるのだった。食事も自分たちで作り、そしてもちろん後片付けも自分たちで行うという自己完結型のライフスタイルであった。

しかしよくよく考えると二ハングは元々戦士である。他の宗教集団が信者から支援(仏教なら托鉢など)などで成立するような祈祷や苦行を専門に行う宗教集団とは大きく異なる。おそらく昔から自分たちで自給し、戦時において野菜と一緒に牛などの家畜を引き連れて戦場に向かい自分たちで調理をしたのであろう。そういった伝統が現在においてもそのまま守られているのだろう。

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Gatka  ガトカ

二ハング達は宗教者であると同時に今までに何回も書いたように古典的戦士でもある。そのため彼らは馬を飼いならし訓練をする。敷地内には多くはないが馬が繋がれ二ハング達が世話をしていた。丁寧に馬を洗う様子からしてきっと二ハング達は馬を大切にしているんだなというのが感じ取れた。Hola Mohallaという祭りの時期にはこのグルドワラには多くの二ハング達が馬で押しかけ敷地内が文字通り人馬であふれかえる状態になるという。そしてなんといっても彼らを有名にしているGatkaという武術を毎日鍛錬しているのが生活上最大の特徴であろう。Gatkaはインド国内においてイベントなどで二ハング達が公演しているということもあり、インド人ならだれでも知っている武術だ。日本で例えるなら僧兵の薙刀演舞といったところだろうか。Gatkaはスポーツとして行われることもあり、そういうGatkaスポーツクラブ的なところは一般的運動着(Tシャツに短パンなど)で練習しているが、彼らのすごいところは、この現代社会においても伝統的な生活スタイルをいまだに貫いているところである。

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食事

特に食事の時に伝統的習慣が色濃く残っているようだった。まず調理する人は必ずマスクをしなければいけないという。二ハング達は髭面が多いので髭が調理中に落ちないようにする衛生上の問題かもしれない。

それとこのエリアはもちろん水道が通っていてグルドワラ内にも水道があるが調理するときに使用する水は必ず厨房内にある井戸水を使うように決められている。写真の右奥に井戸があり、そこからくみ上げられる。ただし洗うときは水道水を使っていたので厨房内でという意味ではなく、食べものとしてという意味で井戸水が使われている。

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さらに器具は純度の高い鉄器(ステンレスなどは不可)で使用後はまず灰で洗い、その後砂で洗うよう決められている。二ハングは鉄器を重要視していて、純度の高い鉄器だとパワーが得られるのだという。

これらのマスク、井戸水、鉄器の決まり事はアムリトサルのような他の厨房では決まってないのでシーク教の習慣ではなく二ハングの習慣であろう。

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二ハング達は戦争がなくなった現代において時代から取り残された集団かもしれないが、取り残された故に伝統を維持している。普通は時代が進みインフラが整備されると伝統生活は現代社会に飲み込まれるけれど、二ハング達はどこ吹く風のごとく生活している。さらに婚姻も基本的に二ハング家庭同志間で行われるのでやや閉鎖的な環境かもしれない。伝統よりも合理的な方向に向かい分業化が進んだ現代社会においては残された貴重な集団で分業とは真逆の自給自足に近い生活を維持している。社会的混乱が起こっても彼らはいつもとほとんど変わらない生活を送るだろう。今も生きるシークのサムライ達は時間を超越してこれからも時代の波に飲みこまれることなくこの二ハングとしての社会を続けるに違いない。

グル・ゴービンド・シングとムガル帝国

第10代教祖グル・ゴービンド・シングには4人の息子がいたが全てムガル帝国に殺されグルの系譜は途絶えてしまった。ゴービンド・シングは父親もムガル帝国に殺されているので、最後の子まで失った時の悲しみは想像に絶するものがあったであろう。二ハング達にとっても次代のグルを失うことに絶望感が耐え難くあったはずだ。なおムガル帝国の宗教不寛容政策を推し進めたアウラングゼーブ帝が亡くなった後に帝位となったバハードゥル・シャー1世は父とは違い即位前よりゴービンド・シングとは友好的立場を取り、即位(1707)後にはマンサブと呼ばれる位牌まで与えている。アウラングゼーブの弾圧が終焉になって喜び、そしてバハードゥル・シャー1世による友好な関係となって少しだけ将来の展望に少し光が差し込んだシークの世界であったがさらに悲劇が襲い掛かる。ゴービンド・シングが暗殺されたのである。バハードゥル・シャー1世が即位したわずか1年後の1708年のことである。暗殺者を放ったのはムガル帝国のシルヒンド知事ワズィール・カーン。実は彼はアウラングゼーブ治世において帝国軍を率いシーク教と戦いゴービンド・シングの幼い二人の息子を殺した人物でもある。二ハング達にとってはアウラングゼーブの次に憎い敵だ。ムガルの帝位が変わりホッとしたところで前帝派の残党にやられてしまった格好となってしまったのである。こうしてグルの系譜は1708年に完全に絶たれてしまった。なおシルヒンドは車でならアナンドプールに数時間で行ける距離ではあるが、当時はムガル帝国の領土内でありRauza Sharif(第二のメッカともいわれるらしいが)というイスラム聖地を抱える完全なモスリムの街だった。今はゴービンド・シングの息子達が生き埋めにされたところには立派なグルドワラが建てられシークの街として生まれ変わっている。

余談だが同じムガルの皇帝であるアクバル(3代皇帝)という名を冠したインドレストランは多数あるがアウラングゼーブ(6代皇帝)の名がついたレストランはあるのだろうか?試しに検索してみたがヒットしない(笑)。アウラングゼーブの治世においてムガル帝国は最大の版図となり在位期間も49年と長く一時代を築き上げたことで有名ではあるが、どうも人気はないようだ。アウラングゼーブは父をクーデタ―で退位させ兄弟を殺しての帝位で、宗教的不寛容な立場を取りアクバルの宗教融和策とは全く逆の治世を行った。となるとアウラングゼーブが現代では人気がないのも無理はない。しかしながらアウラングゼーブの死後は不人気の宗教的不寛容政策を撤廃したバハードゥル・シャー1世の治世は短く、その後はサイイド兄弟による横暴などでムガル帝国は徐々に勢力を弱め崩壊に向かっていった。現代でも当時でも不人気であったアウラングゼーブの他宗教弾圧時代が結局のところは最大の版図を誇り、もう一つの不人気のジズヤ(人頭税:ムスリム以外はこの税金を払えばイスラムに改宗しなくてもよい)を復活させて強引な領土拡大に伴う戦費で押しつぶされそうな財政を救ったり、博愛精神がほとんどなく残忍な身内殺しであるにも関わらず戦略的、財政的なセンスはちゃんと持ち合わせていたのはちょっと皮肉なことなのかもしれない。

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Asahiko Takahashi
  • Asahiko Takahashi
  • Photographer & Doctor 日経ナショナルジオグラフィック写真賞2019ピープル部門 最優秀賞受賞。少数民族やその祭りなどに興味を撮影を行っている。主なフィールドはシーク教、遊牧民、北ベトナム、雲南省、貴州省、チベットエリアなど。

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