アイダール湖&ブズカシ(ウズベキスタン)

Lake.Aydar アイダール湖

 Lake.Aydarはサマルカンドから北に向かって車で半日ほどかかるキジルクム砂漠内にある湖。表記としてAydarkul(この場合日本語だとアイダルクルまたはアイダクルと表記される)とも書くが、kulはウズベク語で湖を表す。旅行記ブログだとアイダクルと書いている人がやや多いようだが、ここではwikiで採用されているアイダールで統一させていただく。

サマルカンドを出て元々乾燥地帯で寒村しかない風景を駆け抜けていくとさらに風景はより乾燥し大きな木は全く見られなくなり、民家さえない草原地帯へ変わっていく。ここは乾燥したいわゆるステップ地帯で見渡す限りほとんど高木がなく低木と草がずっと地平線の果てのかなたまで広がっている荒野だ。こうなると時々羊などの遊牧光景に出会うぐらいで、それを除くとひたすら草原のエンドレス車窓状態を眺め続ける状態となる。もちろんここでは降水量的に農業は難しく必然的に放牧がこの一帯のメイン生活となっている。

なおこのアイダール湖は元々あった湖ではない。なんと灌漑ダムがコントロールできずに水があふれて低地であるこの地方にできてしまった人災ゆえの湖なのである。その面積はざっと3000Km²で琵琶湖のなんと4.5倍に相当する!!水が向かった低地先がキジルクム砂漠内でたまたま民家がほとんどないようなエリアだったために極端に大きな問題にならずに済んでいるようだがもし街が飲み込まれていたらとんでもない問題に発展してしまったではないだろうか。

 このAydarには二つの顔があるようだ。一つはウズベク人主体の放牧生活。現在においてはほとんど定住型となっていて、完全な遊牧スタイルは廃れたらしい。そしてもう一つの顔は意外なことにロシア人だ。Aydar湖沿岸にはロシア人観光客がやってきてのんびり過ごし、ここで漁業をしている多くもロシア系だ。私はここで観光客向けのウズベク式遊牧民のテントであるユルタyurt(モンゴルでいうゲル)に宿泊した。その観光テント村を経営しているのもロシア人で、宿泊客は私を除けばなんと全員ロシア人だった。よく知らないがロシア人は湖畔でのんびりするのが好きらしい。今はノウルーズで時期的まだ肌寒く湖畔に観光で来ている人はゼロだったが、夏のハイシーズンを迎えるとAydar湖には大勢のロシア人が押し掛けるという。

Aydarで見かけた馬に乗ったウズベクの老人、カメラを向けると条件反射的になんとVサインをしてくれた!ここAydarはかなり何もないようなステップ地帯。こんなところに住んでいてもVサインを知っているということがちょっと驚きだった。Vサインは辺境にも知れ渡っている世界共通にサインのようだ。

宿泊している観光用ユルタ村の営業はこのノウルーズからシーズンが始まるようだ。建物内にしまわれていた様々な椅子とかテーブルなどがスタッフによって引き出されていた。スタッフたちはどうやら子供も一緒に連れてきているようで、ユルタの周りをちょこちょこ歩き回っている。あまりにも可愛いのでちょっと撮らせていただいた。うさ耳のカチューシャがとてもカワイイ!よく見ると手書きっぽい。何もないところだから母親がこうやって手作りでやってあげているのかもしれない。

Aydarは実に民家がまばらにしかないエリア。村といっても家屋数は知れたものだろう。とある数件家が並ぶところで、女性がパンを焼いていた。ウズベク式の丸い大きなパンである。どういうわけか屋外に窯を作られている。普通はキッチンにこういうのは作られているものだが、このような屋根がない屋外に作られていることからきっとこのエリアの雨の頻度というのはかなり少ないのでは思われる。そしてひょっとして外にあることから村人達の共有の窯なのかもしれない。

湖畔に行くとロシア系と思われるグループが漁業をしていた。彼らはこのAydar に来たばかりだそうで、大量の網や生活用具などの荷物の整理をしていた。これからしばらくの間はここで魚を捕るという。時期的にはちょうどノウルーズあたりから寒さが緩くなってくるようなので、漁業もこれからがシーズンなのだろうか。下の写真の右の初老の男性がリーダー格で、全くニコリともせずにこんな仏頂面のままで冗談を言うようで周りを笑わせていた。なおこの仏頂面リーダーの右に見える荷物は網である。

Saksavul サクサバル

 宿泊しているユルタから夕陽を眺めようと丘に登った。すると目の前になんとも不思議な枯れ木が現れた。木といっても大きめの低木だけど、木の全体にいくつもの小さい布が巻き付けられていた。その姿は木のミイラといったところだ。これはガイドに聞いたところSaksavulというウズベク遊牧民の習慣で願いをかけて木に布を巻き付けるのだという。つまり願掛けの木のようだ。この習慣はウズベキスタン全体である習慣のようで、他の地域でもこのようなSaksavulの木があるらしい。私の目の前の木はすでに枯れ、ミイラのようになった枝は一部枯れ落ちていた。布がまだ風化していないことから、この木がSaksavulとして遊牧民の願いを聞き入れていた時期は少しだけ昔の時代だったのかもしれない。

Buzkashi ブズカシ

 ウズベキスタンだけでなく中央アジア一帯で行われている伝統競技。頭を切り落とした、羊または山羊の体を馬に乗って奪い合いゴールに入れるといういかにも遊牧民ならではスポーツ。ゴールに入れると賞金や商品がもらえることもあり、参加者のみならず観客も盛り上がる。一応個人プレーの競技なのだが、見ていると馬の進路を妨害してもう一人が羊を奪うような場面もあるのでおそらく数人でチームプレーもしているように見える。

このブズカシはノウルーズの日(春分の日)などのお祝いの時に行われる(村によって若干違いがある)。砂漠といってもこの三月は結構まだ肌寒く、特に夜間はかなり冷え込む。体感的には日本の季節に比較すると紅葉たけなわの秋ぐらいの気温になるのではないだろうか。Aydarに宿泊し翌日のノウルーズの肌寒い朝を迎えると、村の女性が何人もやってきて大鍋で料理を作り始めた。これはどうやらノウルーズ用の御祝い事に食される料理らしい。羊の肉や野菜を入れて煮込む料理だ。見ていると肉だけでなく胃などの内臓も一緒に煮込まれていった。私の泊っているユルタ村がどうやら村の会合場所も兼ねているようで昼近くになってくるとどんどんと村人たちが集まってくる。集まった人たちはお互いに挨拶をかわし、そしてみんなで昼に先ほどの煮込んだ御馳走を食べるのだ。日本に例えるとお正月に家族だけではなく村人たちとおせち料理を食べる感覚なのだろうか。最後には長老の挨拶とともにイスラムのお祈りが行われていた。祈りが終わると散会となり、しばらくしてブズカシの会場となる草原に移動となる。

 会場には結構予想以上に人がいた。Aydarエリアは家がとてもまばらで人もかなり少ないので、会場にはどこからこんなに多くの人が住んでいたんだ?と不思議になるほど大勢の観客がやってきていた。そのほとんどが男性。会場にはドリンクやバゲットなどを売る屋台も数件あって普段は何もないであろう草原がいきなり大きな自然のスタジアムにうまれ変わったのだ。プレイヤーである騎手は30騎ほどであろうか。中にはウズベキスタン特有と思われるフェルト帽をかぶった騎手もいる。幅広の縁が黒フェルトで頭頂部が赤や青など色がついている独特のものだ。競技中は大音量の実況も放送され、さながらお祭りムード。観客も羊がゴールに運ばれるや歓声をあげて盛り上がっていた。こうやって数時間同じように競技が延々と続けられるのだ。

 Aydarは見渡す限りのステップの草原地帯だ。舗装道路もあまり発達していないので、人々は大きな移動でなければ馬やロバに乗って生活している。ブズカシというのは高度な馬術を要する伝統競技なので普段から馬に乗っていないとこんなことはできないであろう。ブズカシは街を車が支配するまではいたるところで行われていたであろう競技だ。今では当然のことながら都会では見られなくなりつつある。田舎で行われているブズカシは、現代の車が便利さと引き換えに失いつつある伝統文化の象徴の一つといえるだろう。もともとは多くが遊牧民なので馬と一緒にウズベク人は生活していたと思われる。ウズベク全土の馬が鉄の馬に変わるのは時間がかかるだろうけど、ブズカシは未来でも残してほしい遊牧民の末裔の証拠でもある。

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Asahiko Takahashi
  • Asahiko Takahashi
  • Photographer & Doctor 日経ナショナルジオグラフィック写真賞2019ピープル部門 最優秀賞受賞。少数民族やその祭りなどに興味を撮影を行っている。主なフィールドはシーク教、遊牧民、北ベトナム、雲南省、貴州省、チベットエリアなど。

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