カドゥルガ フェス(トルコ)

カドゥルガ      Kadirga

 カドゥルガ(Kadirga)、この地名を知っている人はまず日本人ではよほどのことがない限りいないだろう。山の奥の方にあって普段は全く何もないところなのだ。もちろん普段はトルコ人でさえ観光にわざわざやってくることはほとんどいないんじゃないかと思う。ここに向かうにはイスタンブールからエアでまず黒海沿岸の町トラブゾンに向かう。国内線空港のある街ではあるがそれほど大きくはなかったと記憶している(今は知らないが大きくなっているようだ)。街を歩くと目に付く名物のイワシフライに舌鼓を打ち、一泊した翌日にkadirgaに向かう。Kadirgaは車で3時間ほどだろうか、山奥の寒村という感じだ。途中の草原では首に大きな鈴をつけた牛がところどころ放牧されており、木で覆われた山林というよりかは牧歌的な雰囲気が漂う高原地帯といった感じだ。

古においてこのKadirgaは交通の要所だったという。四地方へ向かう交差点となるエリアだった。日本でいえば街道の交差点といえばわかりやすいのではないだろうか。

カドゥルガシェンリッキレリ      Kadirga Festival

 カドゥルガシェンリッキレリ、日本人なら絶対に噛んでしまうこの発音しづらい祭りは標高2300mもの高地で行われる天空の祭りだ。下界がうだるような真夏でも、ここまでくると涼しさを感じ過ごしやすくなる。Kadirgaはあまり木がなく草原が広がるヤイラ(yayla)と呼ばれる高原地帯。天空の下に果てしなく広がった緑の絨毯では首に鈴をつけた牛が草を食み、アルプスのハイジが顔を出してもおかしくないような光景が広がっている。ハイジの世界と根本的に違うのはモスクの尖塔が見えることぐらいだろうか。この人のまばらな寒村で7月になるといきなり人々が近隣から押し寄せ踊りまくるという不思議な祭りが行われるというので行ってみることにした。本当に何もないような所に駐車場があり、どうやら奥に広場があるらしい。民族衣装の村人が車からどんどん出てきて山を登っていく、こんな光景はさすがに見たことがなかったのでとても興奮した。トルコの田舎でもさすがにこのような民族衣装で日常生活というのは当時でも既に廃れていたのだ。

山を登ってしばらく行くと、みんなは男女別々に手をつないで幾重にもラインを作り出した。見ているとどうやらラインには一人監督みたいな人がいて、ラインがまっすぐになるように指示を出していた。ラインを先導するのは当然音楽隊だ。ここで目に付くのはぶら下げるタイプのバイオリンのような弦楽器。動画でみると分かるが歩きながら普通に演奏している。ここの人たちは遊牧民の末裔だ。弦楽器は遊牧民たちによってこのように歩きながらでも演奏できるように進化していったのだろうか。

何重にも作られたラインはゆっくりと踊りながら広場に吸い込まれていく。広場にはステージがありいわば野外フェスといった感じだ。広場に入った村人たちはラインから巨大な輪と形を変え踊る。この地方の踊りは小さいステップで踊るホロン(horon)というスタイルだ。広場に入ると民族衣装の男性も結構いる! 男性は白いシャツに黒のズボンとベスト、それにハンティング帽のようなものを被っている。こういう民族衣装をみていると男女ともにどことなくアジアというよりかはヨーロピアンな特にアルプス的な雰囲気を感じる(行ったことないけど)。 村人達を色々撮影しているとグループによって色々違いがあるのに気づいた。どうやら村というか地方によってビミョーに衣装が異なるようで、巨大な輪が場所により異なる独自カラーとなっているのだ。女性は白地に花柄の民族衣装がメインだが、輪の一角には緑の柄なしが基本となっている部分もある。トップの写真では白地ではなくカラーの布地が基本となって白と赤茶色のボーダーの腰巻をしている。なおこのタイプの腰巻布は結構広く使われている。男性の方でも女性群ほどまでいかないにしろ違いがあり黒ではなく深緑の集団もいた。こうやって踊りの様子を楽しみながら撮影して昼を過ぎてくるとだんだんガスってきてかなり視界が悪くなってきた。標高がこれほど高いと一般には午後になるとガスの発生で視界不良となることがよくあるので、粘ったが改善せず天候の回復は難しいだろうと撤退した。折角ここまで来たのだからもう少ししたらひょっとしたら晴れ間が出るのかもと淡い期待していたが、帰りの交通状況も考えた末にだった。最終的には10m先もよく見えないというほどガスってきたのである。

祭りが行われるのは金曜日である。金曜はモスリムにとって大事な礼拝日だ。祭り当日の朝、村人たちはまずモスクでお祈りを捧げてから祭り会場に向かうという。この祭りは一週間後の金曜日とさらに二週間後の金曜日にも同様に行われるという。つまり金曜ごとに三回行われるわけだ。昔は交通の要所としてきっとそれなりに栄えていたであろうと思われる。馬やロバで貿易のいわば峠越えの場所として日本でいう茶屋や宿場町的に発展していたのではないだろうか。今は縦横無尽に様々な道路でできているから交通の要所としての重要性は低いだろうし、このような場所はほとんどトラックでも素通りとなるだろうからこの町に留まる人は今では激減していると思われる。今は寂れて何もないカドゥルガ、年に一度は昔の栄華を誇るかのような中世チックな民族衣装には昔の繁栄を偲ぶ伝統と誇りが残されているような気がする。

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Asahiko Takahashi
  • Asahiko Takahashi
  • Photographer & Doctor 日経ナショナルジオグラフィック写真賞2019ピープル部門 最優秀賞受賞。少数民族やその祭りなどに興味を撮影を行っている。主なフィールドはシーク教、遊牧民、北ベトナム、雲南省、貴州省、チベットエリアなど。

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